2021年3月12日、本日からブログを開始したいと思います。日々の感想、思ったことなどを書いていきたいなと思います。本当に暇で人生の少しの時間をくれるなら、下さいというお気持ちで書いていきます。毎日やるかどうかは分かりません。
【番組感想を書くことについて】
実況している番組については、実況で全て済ましているからあまり書くことないなと考えたら、「あれ?ブログいらなくね?」という思考に至りましたが、この前のR-1みたいにね、あんなことあると、ブログに殴り書きたいなとか思うじゃないですか。まぁそんな感じですよ。
よろしくお願いいたします。
【自分の大学受験について】
受験終わりまして、なんとか、本当になんとか浪人を回避しまして、神の4月期を思う存分満喫するのかなと。中学受験も大学受験も失敗に終わったとは思うんですが、たくさん病気してきた自分にとっては、「生きてれば良い」みたいな気持ちです。
学歴コンプとかも感じない。学歴より何か一つの「才能」が欲しいです。だって、学歴あっても生きるの下手な人も正直いるじゃないですか。学歴も代えられるものはないけど、それよりは「才能は金に代えられない」って伯山先生が『ボクらの時代』でおっしゃっていて、まさにそう思います。
学歴より才能、周りの方々は何か一つの特技や才能があるわけで、それが自分は無いことが虚しくて、学歴コンプより"才能コンプ"があります。楽器とか弾けたらな。本当に。これ何の話だ?そんなわけで受験終わりました。
【東日本大震災について】
昨日(2021年3月11日)、東日本大震災から10年でしたね。僕は5歳から東京に住んでいて、それまでは違う場所に住んでいたのですが、あのときは8歳で、まだ家も新しいくらいだったんですが、震度5の大きな地震を経験したことは1度も無かったので、本当に怖かったです。東日本大震災とICU(集中治療室)に入った時です。死ぬと思ったのは。
あのときは特に僕自身インフルエンザに罹患していて、熱は下がったけど、まだ学校には行けないみたいな時期だったんです。だからずっとテレビを観ていた記憶があって、『情報ライブ ミヤネ屋』を観ていたのですが、宮根さんがとても混乱していらっしゃったのが、忘れられない。すぐフジテレビに回したら、当時『スーパーニュース』の安藤優子キャスターがヘルメット被って、命懸けで伝えているわけです。あの瞬間、フジテレビの近くの建物が燃えた映像、千葉のコンビナートが燃えた映像、津波が襲った街で取り残された住人がヘリで救出される映像は脳裏に焼き付いてます。
僕は2014年(小6)の時に自由研究の題材を『東日本大震災』にして、陸前高田市と南三陸町を夏休みに訪れました。テレビでは見るけど、ああいったものはしっかり映像を通してではなく、自分の目で見るものだなと思いました。あのときは、陸前高田市かな?かさ上げ工事をされていて、山から土が運ばれてくるんですよ、それがトラックを使うんじゃなくて、かさ上げ工事のために作られた機械を山からかさ上げ工事のところまで通して、その中を伝っていくという(文章伝わりづらくてごめんなさい)、あれを見た時に日本の技術は凄いなっていうのを改めて感じました。それと共に復興っていうのは少しずつですけど、進んでいるのかなと感じました。
今はこのご時世ですが、少し今より状況が改善されることがあれば、また陸前高田市、南三陸町に行きたいなと思います。
せかもり
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