『おかえりモネ』が終わった。感無量です。僕が初めて観た朝ドラが『おかえりモネ』で良かったと心から思いました。
言うて僕は菅波(坂口健太郎)とモネ(清原果耶)がくっつくオチを受け入れるのに結構時間を要しました。言語化するのが凄く難しいんですけど、なんでもかんでも男女が恋愛に発展するという展開があまり好きでは無い自分の性格があると思います。でも菅波という外部からやってきた人間だからこそ、モネの痛みを咀嚼し、受け入れることができたのでは無いかなと思います。その証として菅波がモネに「あなたの痛みは僕には分からない、でも分かりたいと思っています」というセリフがあるんですが、このドラマが伝えたいメッセージはこのセリフに詰まっているなと感じました。「分かる」という“共感や同情”ではなく、「分からない、でも分かりたい」という“寄り添い”がこのドラマの伝えたいことだと強く感じました。これはあの日があるから、ではなく、全ての人に通ずると思います。自分の痛みや苦しみは自分にしか分からない、そこに下手な共感や同情はいらないんです、話を聞いてくれるだけ、気持ちは100%理解せずとも寄り添って受け止めることが大事なんじゃないかと思いました。
あの日を描いたドラマで『監察医 朝顔』というフジテレビのドラマがあったんですが、あのドラマもメッセージ性が強く、家族が行方不明の主人公の生き様を描いたドラマだったんですが、あれとの決定的な違いとして、あの日の直接的な描写が限りなく少ないんですよね。やはりそれは敢えてそのようにしたと思うし、敢えて間接的に描くことでよりリアリティが強まったような気がしました。僕は関東の人間で、当事者の痛みや悲しみはわからないし、こんな偉そうなことを言うべきではない立場であることはよくわかっているんですが、この作品が“あの日”を描く上で感じたことはそういったリアリティを間接的に表現した巧みな演出、そして脚本の力が素晴らしいことでした。
また「おかえりモネ メモリアルブック」の安達奈緒子さんの制作者インタビューを読んで、やはりあの日を知らない人間があの日を経験した人間の痛みや悲しみを100%理解することは無理だけど、その痛みを分かろうとしたい、一緒に生きていきたい、といった制作者側のメッセージを強く感じました。
その上で僕はこのドラマの東京編で登場した“宇田川さん”の描き方が100点だなと思いました。痛みを追って動けなくなった人もいる、人々の固定概念として「痛みを追って、動けなくなった人間を無理に引っ張り出すこと」をしようとする。それを覆してくれたのが良かったなと思いました。昨日のスペースでこんなマシュマロが来ました。「おかもねは引きこもりの話を投げたまま終わった」と。いや違う、そこの捉え方は人それぞれだけど、その考えに至るなら、僕は非常に残念だと思います。「投げたまま終わった」のではなく、「それが宇田川さんの生き方」だと捉えてほしいなと思いました。人の歩くペースは人それぞれ、よく心に深い傷を負った方が元気に社会復帰という話を聞きますが、本当にそうでしょうか?そんな世の中上手く行きますか?
誰もが深い傷を負いながらもそれぞれが懸命に生きていく、それが本当の多様性だと僕は思うし、そういったところを下手にハッピーエンドにすることは蔑ろに感じます。敢えて、宇田川さんなりの生き方に芯を通して最後まで宇田川さんの姿を描かなかったのが、このドラマらしいと感じました。
あとはやはりみーちゃん(蒔田彩珠)とりょーちん(永瀬廉)。僕はみーちゃんに凄く共感しました。世の中には、みーちゃんに反感を持つ声もあったんですが、モネに向かって服を投げて「ズルい」といった部分はもろに共感の嵐でした。何がどうモネがずるいのか言語化するのはほぼ不可能なのですが、りょーちんから電話はかかってくるし、あの日、島にいなかったからこそ、みーちゃんの苦しみがわからないし、そこが本当に複雑ですよね。誰も悪くない、でもそれぞれの苦しみのすれ違い、あの日の境遇が違ってしまったからこそ、姉妹で一つの壁というのが生まれてしまったのでは無いかと思います。このドラママジで凄いと思ったのは、残り3話と迫った最終週にみーちゃんが「あの日、おばあちゃんを置いて逃げてしまった」と告白するところだと思います。素直にエグ脚本だと思いました。後半少し駆け足になってしまって、ちょっと消化不良な部分もあったんですが、その告白を最終週まで隠し通すという構成は異次元の構成力だと感じて、関心してしまいました。ただこれもリアルで本当に話せないこと、話しづらいことって、切羽詰まったギリギリで出てくることがあると思うんです、いや、そんな生ぬるいことと一緒にしちゃダメだ。うん、難しいですが、宇田川さんの件も含めて、「全て万事解決」という終わり方をしないから素晴らしいなと思いました。
僕はりょーちんは当て馬ではないと思います。恋愛関係で言うあのシーンではない、心に傷を負ったりょーちんがモネに救いを求めた結果だと感じました。凄い失礼な言い方をしてしまうとあのシーンを「当て馬」と解釈するのは冒涜に近いと感じてしまいます。男女の友情、気を許せる友達があっても良いと思うんです。僕もそういう人はひとりいます。りょーちんにはその相手がたまたまモネだっただけ。男女、異性ではあるし、なんでも話せるけど、恋愛関係ではない、そういう関係とだっただけです。あれを当て馬ということに人々の固定概念があるなと感じました。
少し納得がいかなかったのは、りょーちんとみーちゃんのくっつき方ですよね。二人で手を取り合って欲しかった。モネを介さないで欲しかったと思いました。二人で自力で手を取り合って欲しかったなと。モネを介してしまうと、結局二人はモネに依存する結果になってしまうから、そこは少し納得がいかなかったなと思いました。
それぞれの登場人物を凄く丁寧に扱うドラマだと感じました。神野マリアンナ莉子(今田美桜)が「私は深い傷を負っていないから痛みがわからない」と葛藤した場面はあの日問わず、何の痛みが苦しみを知らないサイドの心情まで拾って抜かりないなと感じたし、スーちゃん(恒松祐里)も「私は東京で生きていく」という芯を強く持った子も描いて、本当にあの日を起点として、それぞれの生き方を丁寧に描いたドラマだなと感じました。
そしてりょーちん(浅野忠信)の父親である新次は『監察医 朝顔』と境遇はかなり近いなと感じます。美波(坂井真紀)を失ってからの葛藤や苦しみがすごかった。死亡届にサインをするということは美波を殺してしまうことになる。安達奈緒子さんは「さぁ、前に進もう」と手を差し伸べる脚本は描かない、あの日の当事者ならではの「妻の死を受け入れることができない現実」を凄く真摯に生々しく描いたなと感じました。だからこそ新次の葛藤、苦しみ、痛みを知って歩けない、そこに止まる事しかできない人の心情描写、肉体描写が視聴者に大きく心を動かされたと思います。そんな新次さんがたどり着いた結論は「元に戻らなくていい」ということ。美波と亮と過ごした時間が大事だからこそ、前を向いて歩いていく決意を固めて、サインをした。その心情の変化、そこに至るまでの放送を重ねた長さが本当に当事者が前を向いて進んでいく時間のリアルを感じたし、新次が希望を持てず、泥酔していた描写や美波が生きていた頃のハイライトシーンが流れたのも合間って、素晴らしい結論の導き方だと強く感じました。
従来の朝ドラでは無いかもしれないし、朝ドラとは思えない暗さのドラマだけど、朝ドラの長尺でしか描けない物語がそこにあったし、賛否いろんな意見があるけど、僕一個人として素晴らしいドラマだと強く感じました。
せかもり
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